佐藤B作は事故で前妻を失いあめくみちこと再婚。現在は病気で息子と

俳優
参照:http://www2.nhk.or.jp/archives/jinbutsu/detail.cgi?das_id=D0

前回お伝えした笹野高史さんと大の仲良しである佐藤B作さんのご紹介を突然致します。

コメディーからシリアスな舞台、バラエティー番組と幅広く活躍中の佐藤B作さん。

この方は、今まで紹介してきたイケメンとはまた違った要素のある方で…女性関係が非常に多いのが有名です。

といった点で女性を惹かせることが出来る男性といったところでしょう。

昭和世代で、グイグイいく男性で、そもそもモテたB作さん。

どんなところが恋愛のポイントになったか調べていきましょう!




佐藤B作の前妻は何人いたのか?

現在はあめくみちこさんとおしどり夫婦なB作さんですが、読売テレビ「特盛!よしもと」で、自分の不倫経験について明かしたことがあります。

B作さんが公に公表しているのは3回結婚

佐藤B作の前妻1人目

最初に結婚した1人目は劇団スタッフであった女性で、劇団スタッフを退職することもあって、すぐ離婚。

佐藤B作の前妻2人目は息子の母親

二人目は精神科医で目白サトウクリニック院長でした。

長男の銀平さんの産みの産みの親にあたります。

そして、二人目の奥さんは本当に大変でした。

B作さんたら、奥さんに「(当時は他に好きな女性ができて)1週間だけ外泊させてくれ」と奥さんに頼み込んで不倫相手と外泊したんです…

それだけではなく、更には、奥さんに1週間延長を頼んだところ

「私、死にます」と言われてやっと戻りました…

その他にもウソ、偽りを重ね奥さんが居ながら外で浮気を豪快にしてきた人だったんですね、B作さんは。

怖い…昭和生まれで平成に不倫し過ぎだ。

 

そこまでしていた肝心のB作さんは、当時のことをスタッフから質問された時には

「だって最高に楽しいんだぜ!」とビッグスマイル…満面の笑み…?

それは…女性からすると、愛せない男性になると私は思いますが…

そんな夫でも、奥さんはB作さんを大切にしたんです。

けれど…

 

銀平さんを育てていくなかで、長く夫婦で居られるはずの二人は、

1998年に沖縄でのダイビング中に不慮の事故で死別。

 

当時のB作さんは本当に予期せぬ事態にあい、自分の胸にポッカリと穴が空いた様な状態だった事も伝わりました。

 

それは、考えただけで、私も悲しみに包まれます…

 

海をダイビングなんて、普段しないことを思い切り楽しんでいたのに、愛した人を失うなんて本当に辛かった。

佐藤B作と結婚した現在の妻は、あめくみちこ

現在は自らが座長を務める「劇団東京ヴォードヴィルショー」の女優・あめくみちこさんと結婚しているB作さん。

おしどり夫婦で有名です。

しかし浮気上手?なB作さん。次こそ愛を束ねて欲しい!



佐藤B作の息子は俳優になった銀平

無題

引用:http://www.tv-asahi.co.jp/

前記で佐藤B作さんの結婚歴を載せました。

「さんま御殿」ではB作さんも2001年から、現在に至るまで、あめくみちこさんにすっかり尻に敷かれた様に

仲睦まじい夫婦間を見ることが放送されました。

その放送枠で、女癖&酒癖の悪い父親が反面教師となって俳優になった長男の佐藤銀平さんは、

「自分は真面目になった!」と語っていましたが…

佐藤B作の息子も離婚

佐藤銀平さんの女癖は?現在44歳の銀平さん 。

真面目に結婚していると思いましたが、銀平さんまで結婚して、離婚されていました💦

 

しかも子供が2人いるのに離婚したけど、

離婚理由が…銀平さんの浮気が原因…だったそうです…

血は争えない…と言いましょうか、

世間一般の女心からすると…浮気癖のある男性は苦手です。

こういった人を知ると、人付き合いって難しいと私なら思います。

相手には私じゃ足りない。

他にもっと魅力のある人が居ると思って自分を嫌いになってしまいます…

そんな相手ならこちらから、離婚します!

 

それが、B作さんの1人目の前妻の考えにあったのかもしれせん。

銀平さんも離婚しても、子供には会えている事を願います。


佐藤B作の病気は”がん”

2007年10月、東京・新橋演舞場の舞台の袖が、佐藤B作さんにとって一つのターニングポイントとなりました。

寝坊な豆腐屋』に出演中、共演した中村勘三郎さんが「最近、お酒が次の日にも残るんじゃない?」と話しかけてきました。

その時の佐藤さんには、心当たりがあったそうで

「そうなんですよ」と答えると、勘三郎さんには、定期健診を受けているか心配されました。

次の日にも残るお酒とは、飲み過ぎたイメージがありますが、飲み慣れた人達は、違和感を感じられるんですね。

健康管理が1番重要になってきます。

 

女癖&酒癖の悪いB作さん。

実は御両親は脳溢血で亡くなっていました。

違和感から検査を受けた佐藤さんは医師から結果を聞くと、胃がんです。

それもクセの悪いがんですと知りました。

佐藤さんにとっては、自分もかかる病気としたら脳溢血だと思っていたかもしれません。

だから、医師から胃がんだと言われた時には『へえ、がんですか』と言ったそうです。

 

何だか他人事のように感じたんでしょうね。

胃がんを告げられたのは、B作さんの主宰劇団の公演中で、医師にすぐに入院と手術を受けてほしい!

と言われても、公演はまだ1カ月も残っており、劇団主宰者として、中止するわけにはいかないと、B作さんは思いました。

 

だから、劇団主催者として、周りのみんなを思い考え、自分の事情で止めるわけにはいかないなと思ったB作さんは、

当時は医師にも言い返していました。

 

手術入院で回復した現在のB作さんは「今ならすぐに病院に行っているんでしょうが、そのときはがんとの初めての出合いだったから、甘く見ていましたね。

ご飯はおいしいし、お酒もおいしい。

体重も毎日芝居をやっても減ったりはしない。

『胃がんですよ』と言われても、信じられなかった。

やせて血を吐いたり、お腹が痛かったりすれば芝居どころではないのでしょうが、自覚症状が全くない。

「がんに罹ったという意識が本当に薄かった」と語っていました。

 

佐藤さんは「福島から東京に出たかった。東京の大学に行きたかった。中学から一生懸命勉強しました。

睡眠不足になるくらい勉強して福島高校という地元では一番優秀な高校に入りました」と語っています。

 

しかし、無理が積もったのか。高校での中間テストの最中に胃痙攣を起こしていたそうです。

佐藤さん曰く「胃が雑巾を絞るような激痛に襲われ、脂汗が『ドワー』と出て、試験どころではなくなりました。

思えば、子どものころから胃腸系は弱かったかもしれません」

皆さんにも是非!自分の体を思い返す事をして貰いたい私です!


佐藤B作の実家は漬物屋

2007年3月5日に高橋住生さんが宮城TV放送で”住生のいつか来た道ぶ~らぶら”で紹介されました。

お店に入って・・・発見!
この人は・・・B作さん!
あの「劇団ヴォ-ドヴィルショー」の
佐藤B作さんです!!
佐久商店はB作さんの実家でした!
お隣りが弟さん。
僕と話している気さくなお姉さんは
弟さんのお嫁さん。

15年も前の放送ですが、現在も営業しています!B作さんもサイトを紹介していますよ。

美味しい漬物で有名なお店。

■「佐久商店」024-542-2769
●いかにんじん(300g)500円
※佐藤B作さんの実家

現在も販売されていますよ。オンラインショッピングも!

福島地方一円で食べられている「いかにんじん」は、冬の伝統料理として多くの市民に愛され食べ継がれてきた、 福島地方発祥のとてもおいしい郷土料理 です。
また、フルーツ王国ならではの果物も多数そろえております。贈答用にも喜ばれる「福島の果物」もぜひご覧下さい。
■ご注文はインターネット・電話・FAXにて承っております。 >詳しくはこちらでご確認下さい

佐藤B作のプロフィール、本名は?

  • 佐藤 B作 さとう ビーさく
  • 本名 佐藤 俊夫 さとう としお
  • 生年月日 1949年2月13日(73歳)戦後間もなく生まれました

動物占いでは”こじか”八方美人で甘え上手…まさにB作さんそのまんまのイメージが浮かびますね。

ドラマや映画だけでは無く、クイズ番組『クイズ 日本人の質問』に出ていた時の言葉や、笑顔には面白くて可愛らしさがありました。

  • 出生地 福島県福島市飯坂
  • 学歴 福島県立福島高等学校卒業、早稲田大学商学部中退

商社マンや外交官など海外に行ける仕事を志し、早稲田大学に入学していた事に驚き!

今までご紹介してきた俳優には、早稲田大学に入学した人が沢山居ました。

俳優は賢いんですね…すごい!

  • 身長 163 cmと少し小柄
  • 血液型 AB型
  • 職業 俳優
  • ジャンル テレビドラマ
  • 映画(邦画)喜劇
  • 活動期間 1970年代 –
  • 配偶者 あめくみちこ(2001年 ‐ )
  • 著名な家族 佐藤銀平(息子)
  • 事務所 オフィスボードビル
  • 劇団東京ヴォードヴィルショー主宰者

 

佐藤B作の趣味は演劇で小学生から始めた演劇部

B作さんは小学校4年の時から演劇部に入っていました。

元気なイメージが強いB作さんですが、運動部でなかったのは少し以外な感じがしますね。

中学、高校生時代のB作さんがどういった学生であったかの情報は上がってきませんが、

大学時代の情報は載っており、”大学の授業に通っていたのは最初の頃だけで、そのうちジャズ喫茶通いに熱中し、

そこで見た(ということは上京して大学生だったB作さんのアパートにはTVが無かった!と思います)

ドラマに刺激を受け役者になりたいと思い立ち早稲田大学の演劇サークル「劇団木霊」に入り、演劇活動に専念したそうです。

 

早大を中退し、演技研究所に参加し、名優を目指し多くの劇団を受けましたが、

福島なまりが抜けていなかったこともあってか落ち続けたB作さん。

地方なまりで、受からないのは、昭和時代を感じます。

 

現代では、訛りを生かした著名人が多い上、訛りは訛り、演技は演技と理解され俳優職業に繋がるようになったと思います。

地方からでも、俳優を目指し、上京する人が増えてきたと私は感じています。

アングラ集団「自由劇場」に参加。

1973年に劇団東京ヴォードヴィルショーを結成、現在も座長を務めています。


佐藤B作が世界演劇を進んだ理由

大学は、世界で活躍する商社マンになるべく早稲田大学(だから凄いです!)

の商学部サークルは外交学会に入り、外でも英語を習いに行ったそうです。

絵に描いた様な真面目B作さん!

この時なら浮気性にはならなかったかもしれません?!が、

夏には大学生のやる気を失い、新宿・歌舞伎町のジャズ喫茶に朝まで入り浸ったそうです。

ジャズ喫茶に入った事がありませんが、若い大学生が入り浸れる程のお洒落な所だったんですね。

あるとき、下宿で『若者たち』というTVドラマを見て、佐藤さんは「自分もプラプラ遊んでいてはいけない。

燃えるような、熱くなることをしなければいけないと思いました。」

そうです。つまり、佐藤さんは下宿にTVがあったんですね笑

早大の劇団に入ると、授業に出られなくなり、成績がどんどん悪くなり、中退しました。

 

学業って本当に難しいですね。でも、学んで損する事は絶対に無いんです。

良いも悪いも学ぶことは経験者になる近道ですね。

現代の佐藤さんは、舞台がメインで、今年は「閃光ばなし」(2022年9月26日 – 10月2日〔予定〕、ロームシアター京都 / 10月8日 – 30日〔予定〕、東京建物 Brillia HALL)が計画されています!

佐藤さんが出演するのか、主催のみか?分かりません。

予定のみですが、きっとまた舞台で見れることを期待して、応援しています!

皆さんも要チェックチェック!

PS.浮気にはお気を付けください。